海水浴という言葉も聞かなくなりましたね、昔はその海水浴客を「かっぱ」と言っていたし、そのかっぱ達が浜辺で日焼けする姿を甲羅干しと言っていましたね。
ところで、河童は川や池、沼の生き物と想像するのですが、海でも生きて行けるのでしょうかね。ま、どうでも良いですが、そのかっぱです。
大きな看板にはかっぱの絵と八王子・茅ケ崎の文字。湘南海岸への海水浴客の足として設定されたようです。ただ、相模線の横浜線経由八王子乗り入れは普段から朝夕に行われており、目新しさはありません。
それでも普段と異なるのは2番線発ということ、ここから横浜線に入るには中央線の上下を渡る必要があり、ダイヤの隙間を狙ったと想像します。
呼び込みの大きな横断幕ですが、当時の相模線は非電化路線、冷房なしのキハ30に揺られて行くと思うとちょっと・・・。
扇風機が唸り、窓は全開、日よけ幕がバタバタし、停車時にブレーキを掛ければブレーキシュウの焼けた匂いと制輪子の鉄粉が窓から入って来る、あの光景を想像します。
それでも貴重になり始めたキハ30の乗り心地を確かめるため、2駅目の相原まで乗ってみました。
交換の横浜線は103系高運車の冷房車でした。
(1986/7/20 撮影)