線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

鶴見線’83年GW

 横浜・鶴見はかつての地元。クラウス17号見物も自宅から自転車でした。そんな訳でGWには混雑する観光地には行かず、鶴見線を散歩したりしていました。

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(新芝浦)

 この頃すでに黄色い101系に置き換わっていました。GWとあってか工場街も静かで、のんびりとした空気が漂っていました。背後に見える安善町のガスタンクも懐かしいです。

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(安善)

 工場地帯を行く鶴見線にあって、安善駅前には小さな商店や住宅がこじんまりとまとまっていて、日中の利用もそこそこありました。

 令和の今でも、米軍タンカーの入換作業でDE10あたりが、こんな具合に姿を見せているようです。

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(武蔵白石)

 さすが日本を支える京浜工業地帯の名立たる企業名ばかりです。案内図には米軍貯油施設と思しきものが示されてしますが、そこに至る線路が見えませんね。故意に示していないかも。

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(国道)

 あの頃から昭和のノスタルジーみたいに扱われるガード下の風景ですが、暗くて怖くて埃っぽい空気が澱むようで、長居はしたくない場所でした。正直なところ。 (1983/5/4 撮影)