線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

2022-06-01から1ヶ月間の記事一覧

’74年北海道の旅 ー11-

【1974/9/16】 早朝、岩見沢着。 前夜「それじゃ、明日朝に岩見沢のホームで」と言って別れた仲間は、待てどもオロハネ10から姿を現さなかった。 栗丘へ移動のため乗った列車は朝日を受けて進む。車窓からの景色を眺めていると、この列車の機関車と客車の…

’74年北海道の旅 ー10-

【1974/9/15】 前日乗った321レは機関車とともに南稚内に引き上げて泊となる運用だった。 翌朝、稚内へ機関車逆向きで回送され324レとなるので、それを眺めようと南稚内へ出向くと、偶然にも仲間の一人と一緒になった。 稚内への回送はホームに据えら…

’74年北海道の旅 ー9-

【1974/9/14】 紋別から興部の間で撮影できそうな場所が無いのは分かっていたので上興部まで移動した。山に囲まれた静かな駅だった。上下の貨物列車がそれぞれ長時間停車しながら交換するダイヤになっていたので、駅構内の上下側を行ったり来たりと歩き回っ…

’74年北海道の旅 ー8-

【1974/9/13】 急行「大雪5号」は網走行きだが、北見からは機関車を交換してC58牽引の普通列車となることで有名だった。それ故に北見発車を撮りたくて乗り込んだのであり、北見で降りたのだった。 発車まで約30分の時間があったので、駅を出て広い構内…

’74年北海道の旅 ー7-

【1974/9/12】 この日は朝から夕方まで塩狩で過ごす。前夜ここのYHを選んだのはもちろん、朝の322レ狙いだった。 朝飯前に和寒側の駅構内はずれで待つ、一面に霧が立ち込める中を蒸機機関車の吐息とヘッドライトが迫る。ファインダーでもナンバーを読み…

’74年北海道の旅 ー6-

【1974/9/11】 宿を発ち登別からD511120牽引の普通列車に乗り込んだ。メンバーは総勢十数人くらい居たのだろうか。 1番線に225レが進入。 2番線ホームの柱の美しさや味わいのありそうな跨線橋に、あの頃に目が行っていればなと今思う。 苫小牧で…

’74年北海道の旅 ー5-

【1974/9/10】 午前中は白老駅でC57やD51をスナップという超お手頃テツだった。もう少し工夫はなかったのか、いくら何でも北海道まで来てフツーの駅撮りは無いだろうと今、後悔している。 225レ 日中時間帯のD51牽引列車といえばこの225レだ…

’74年北海道の旅 ー4-

’ 【1974/9/9】 いよいよ蒸機撮影となる日。植苗のお立ち台を目指す。 YHからお立ち台へは25000分の1の地図を頼りに歩いた。5~6kmあったろうか、或いはそれ以上か。原野の中の国道をとぼとぼ歩く、途中から植苗方向へ目星をつけた脇道を探して入…

’74年北海道の旅 -3-

【1974/9/8】 旅の3日目、午前中は大沼駅やその先の仁山のほうに向かって歩いてみた。背後に駒ケ岳を望み、ただただ広い原野に北海道に居ることを実感した。 延々と連なるワムの編成。お尻はまだ大沼駅構内を抜けていないようだ。このように遮るものなく全…

’74年北海道の旅 ー2ー

【1974/9/7】 初めての北海道の地は深夜1:35の函館駅連絡船待合室で幕開けとなった。 夜明けまでには時間があるので硬いベンチに横になるが、変な酔っ払いに絡まれないか、誰かに荷物を取られないかと心細い。眠い目には眩しい蛍光灯、潮の香りが混ざっ…