2021-02-01から1ヶ月間の記事一覧
急行「比叡」です。 (1975/2/26 大阪) 大型のHMがカッコイイですね。昔の「なにわ」や「いこま」を彷彿させてくれます。(実際に目にしたのは「なにわ」だけですが・・・) しかしながら関東人にとって「比叡」という名には馴染がなく、比叡山延暦寺を歴…
拝島の翌日、八王子で再びPFに遭遇。 機番は前日と同じですが、時刻が異なりますので田端への帰還なのでしょうか。 (2021/1/22) 横浜線ホームから程よい距離を置いて停車しています。丁度良い具合に横浜線列車も入線していないので、ゆっくり眺めることが…
緊急事態宣言下、カメラを持ったものの近所をウロウロする日々が続いています。 この日は八王子で出発前の工臨らしき単機を目撃し、拝島へと向かう様子だったので先回り。 沿線で撮れる場所が無いのは承知の上、拝島駅手前の築堤に行ってみました。思ったと…
八王子でのスナップ。 キラキラと朝日を浴びて発車待ちしている湘南色169系の脇を、201系がすり抜けて行きます。 169系は「新幹線リレー号」で、八王子と大宮を武蔵野線経由で結んでいました。 前身は「こまちリレー号」で、この後は「ホリデー快速…
青梅線の東中神駅、改築前までは実に味のあるホーム上屋がありました。 造りとしては簡素なものですが、屋根を支える柱に目が止まります。 朝日が絶妙な角度を得て昇ると、柱の影が放射状に開きます。 2月の上旬から中旬にかけてのこの時間帯、ホームを行き…
急行「安芸」です。 (1975/2/25 広島) 当時は岡山までだった新幹線を受けて、広島方面へと乗客を運んでおり愛称名のとおり呉線経由で、1号から3号までありました。 掛員氏がよじ登っていますが、これはHM交換のためで、パタンとめくると「山陽」が出て…
急行「能登路」、高校の修学旅行で能登を旅した時のスナップです。 (1972/9/12 羽咋) 丸型の小さい愛称板ですが、見附島をあしらった絵が好感を持った印象があります。金沢と輪島、珠洲・蛸島を結んでいました。 穴水での分割併合が行われていたようですが…
ギラリ! 103系10両編成。 (1999/2/13 東中神) 毎年、毎年この時期になれば、同じ角度で朝日が差し込み、この時刻の下り電車の側面をギラリと照らしてくれる。 103系の時代も201系の時代も、今の233系でも同じように。 (ならば、73形の時…
房総西線「うち房」と房総東線「そと房」です。 (〇〇西線、〇〇東線、いいですねこの響き。爺さんはうっとりです。) (1972/2/24 両国) アクアラインの開通ですっかり地盤沈下した感のある千葉の鉄道ですが、それまでは「さざなみ」や「わかしお」がバン…
磐梯熱海のあとはお決まりの東長原へと向かい、今回はイン側に陣取りました。 この日も盛大な煙に圧倒されました。編成後部が茂みから抜け切れていないのですが、これ以上引くとギャラリーが・・・、という訳。 空を覆う煙と視界を遮るほどのドレンに興奮し…
前週に続き、2月最初の土日も郡山発のD51が運転されたようで、再び出かけています。 前週と同じ磐梯熱海の踏切に立ち、今回は少しローアングルに構えました。 迫力ある絵を撮りたいと思い、フレームアウト承知で1発! ※グレースケールしております。 (1…
立春の頃になると、朝日の昇る位置が日に日に北東方向へと移って行きます。東の方向へ向かうこの線路では、日の出後の朝日が照らす位置も右側面、正面、左側面へと移って行くこととなり、ギラリ狙いの立ち位置も変わって行くこととなります。 (東中神) 運…
上越線の「佐渡」です。 (1971/8/15 水上−湯檜曽) 高校1年の夏休み、母方の実家と共に家族で水上に集合して1泊したときのもの。折角水上まで出かけるので父親のカメラを借りてのスナップでした。(このカメラは35mmではあるものの、レンズ交換出来な…
巣ごもり生活が更に延長のようです。なので、古いアルバムをめくっては思い出に浸る日々がまだまだ続きそう。(笑) いかにも「ガキ鉄」らしい前面カブリツキがあります。 (1968/9 横浜) ハーフサイズカメラを手に、目にしたもの何でもカメラを向けていた中学…
既にお気づきの方もいらっしゃるかと存じますが、弊ブログとリンクしている弊HP「線路端の想い出」がプロバイダーのサービス終了に伴い閉鎖いたしました。 SO−NETを基幹とし、NIFTY及び他1社のHPサービスで構成しておりましたが、数年前にN…