線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

中央弘前駅 再び

 ツアー途中で弘前市内に宿泊した。中央弘前駅が近くにあると判ったので夕食後にひとりでテツ散歩する。

 ホテルから5分ほど、19時台というのにひっそりとした駅前に辿り着いた。

 一文字ずつの行燈式駅名標。オレンジ色に黒文字が引き立つ。

 改札口からホームを覗いてみた。こけしさんに明かりが灯っていて美しい。

 小川を挟んだ対岸に出る。8月には金魚ねぷたが飾られていた欄干は、照明塔の役割もあるようだ。

 発車を待つ電車はまだ乗客を迎え入れていない。近隣の店舗の灯りが社名のロゴを映し出していた。

 発車5分前、前照灯が点灯した。お客さんも少しずつ乗り込んで来たようだ。

 大鰐行きが発車して静まり返る駅。時代がかった駅名看板と、駐輪場の主の帰りを待つ数台の自転車が侘しい。

(2024/10/25)

 あの晩の侘しさ漂う駅前の記憶が残る中、先月末に会社側から「大鰐線2027年度にて運行休止」の意思表示があった。利用者減が一層進み、厳しい経営状況の改善が見込めないとのこと。沿線自治体も理解を示しているようなので、休止・廃止は避けられないのかも知れない。

(2024/12/11 記)

GV-E400のカブリツキ

 8月に東北夏祭りを鑑賞したばかりだけれど、今度は東北の紅葉を鑑賞するツアーに参加した。

 行程の途中、五能線に30分ほど区間乗車することになった。一般客との混乗だがツアー客もほぼ座席を確保する中、自分はひとり先頭カブリツキへ行く。

 

 乗車したのは「あきた白神」駅。ここから十二湖駅までの間、GV-E400の前面展望を楽しんだ。発車後間もなく有名な「第二小入川橋梁」を渡った。

 夕日をバックに、鉄橋を通過する列車をサイドから狙った観光ポスターでよく見る場所だ。今回のツアーカタログにもそれと同様の構図が載っていて、五能線の旅の旅情を誘っていたのだが、いざ乗車してしまうと、今その鉄橋を渡っていることにほぼ気付かないという皮肉。

 次の岩舘で「リゾートしらかみ」と交換した。交換待ちの間、添乗員氏が団体乗車券を運転士に提示して何やら手続きを始めた。無人駅の多い路線でのワンマン乗務の運転士も大変だなと思う。

 まっすぐ伸びる線路を運転士さん気取りで前方注視。

 五能線と言えば日本海。トンネルの向こうに海原が現れた。

 新型気動車の客室窓やドアは熱線吸収ガラスの色付きなので撮影には不向き。素通しの乗務員室前面窓にのみ、美しい海岸の情景が映り込んでくれた。(けれど、ちょっと窮屈なアングル(笑))

(2024/10/25)

カシオペア紀行 甲府行き

 基本的には東北線を北へと向かうことが多いカシオペア紀行だけれど、ごく稀に中央線を下ることがある。今回数年ぶりに多摩川を渡る、しかも日中時間帯ということでイソイソと出かけた。

 いつものとおり立川市側の河川敷で待ち受けた。ところがそれまでの薄日が徐々に遠のき、雨雲が近寄ってくる始末となり眠いカットとなってしまったのが残念。

 今や貴重な電機機関車が客車を牽く姿に感動すら覚える。極めて近い将来に消滅する情景だ。

 対岸へと粛々と進むロクヨンをファインダーで追う。今ごろきっと、土手上に陣取る多くの御同業の皆さんは、シャッターボタンに意識を集中させていることだろう。

 長い長い客車編成をしっかりと見送った。

(2024/10/19)

下諏訪駅

 ここを通過する度に、古レールの支柱が美しい上屋だなと思っていた下諏訪に初めて降りた。

 本屋側上りホームは優雅なカーブを描く「Y字」が整然と並んでいる。

 都内では意識しない「中央東線」の名称だが、信州のこの辺りでは「中央西線」との区別が必要なのだろうか。

 大きな文字盤のとても見やすい時計があった。都内では撤去が続いている中にあって、ほっとする存在だ。JR東の設備ではなく団体の寄贈品であることも存在理由のひとつだろうか。

 下り列車を見送る。

 程なくして上り列車の到着だ。

(2024/10/16)

えっ!2459列車

 それは昨年夏のこと、塩尻への途中何気なく眺めていた車窓に「2459列車」と書かれた標識が一瞬飛び込んで来たのだった。

 2459レと言えば何度かカメラを向けた記憶がある列車だ。以来「あれは何なのか停目なのか。何で今なお残っているのか」と、ずっと気になっていた。

 今回の飯田線への途次、それをカメラに収めるべく岡谷までの車窓を注視しながらスタンバイ。「あずさ」の下諏訪通過の際に飛び込んで来たそれを仕留めることが出来た。

 出来れば傍に寄ってみたいと思い、所用を済ませたあと時間を作って下諏訪に降り立った。ホーム先端に立つと、その先にあるのが見えた。近くに寄れるかも知れない。

 駅を出て踏切を渡り線路に沿って回り込むと柵を隔てた傍らに立つことが出来た。ここにあるということは停目なのだろうか、では何故、特定の列車に対してなのだろうか?

 そんなことを考えつつ、ロクヨン一般形の牽引で午後に新鶴見を発ち、夕刻には八王子での長めの停車がありテツの注目を浴びていた、中央線下り貨物2459列車を思い出す。

(2024/10/16)

弊ブログでの思い出。

senrobata.hatenablog.com

senrobata.hatenablog.com

ED19 1号機

 飯田線伊那松島駅から徒歩10分ほどの、箕輪町郷土博物館敷地内に保存されているED19の1号機を訪ねて来た。昨年夏に訪れたものの、博物館の改修工事中で見学出来なかった同機である。

 道路から敷地への階段を上がると、端正な姿の同機が柔らかな光線に包まれて迎えてくれた。

 機関車も再整備されたのだろうか実に美しい姿だ。区名札の差し入れ口の脇には、お召し機関車を示す当日の担当乗務員の氏名札差し入れ口があった。

 側面のプレート下には浜松工場での改造を示す銘板がある。

 遠くに伊那の山並みを望み、今にも動き出しそうなED19だ。

 曇り予報のこの日だったが、薄日が差してくれていた。そんな太陽を仰いでみると、あたかも線路端でのカブリツキのようなアングルを得ることが出来た。

 リベットにエアフィルタ、直線で構成された窓が無骨な車体をより一層引き立ててくれている。

 

 ED19現役時代の唯一のカットを添えておく。

(1976/3/21)

 

 博物館からの帰途、駅への坂道を下って行くと踏切が鳴り出した。天竜峡行きの電車がゆっくりと発車して行った。

(特記以外は2024/10/16)

岡谷の琺瑯

 中央線から飯田線への乗り換えで岡谷に降り立った。

 毎度のことながら岡谷と言えばこの琺瑯だ。

 上りホーム中ほどのコレ、上屋が改修工事中にもかかわらず未だ健在なのが嬉しい。

 上諏訪発の豊橋行きが入線して来た。その入線するホームにも琺瑯があれば良かったのに・・・と空想する。「塩尻、松本、長野、飯田、豊橋 方面」なんちゃって。

 琺瑯のある支柱には寒暖計もある。これも立派な昭和のアイテムだ。

(2024/10/16)