線路端のブログⅡ

高架化されても、高いフェンスに遮られても、やっぱり線路端が好き・・・。

明知鉄道に乗る

 車内や車窓の風景を追ってみた。

 アケチ102の車内。吊り手のひとつに菰樽のミニチュアが。(笑)

 岩村にある酒蔵さんの銘柄だ。

 夕方発の上り列車。右へ左へとカーブする中、乗客もまばらな車内に後方から強い夕日が差し込んで来た。

 沿線唯一の列車交換駅は岩村。場内への進入に際しては注意信号で進む。対向列車もまた同様のようだ。

(前面でのかぶりつき撮影、運転士さんも「どうぞ」と、勧めてくれるという有難さ。)

 「日本の農村風景」を沿線の車窓に謳っている。

 昨今色々と話題になる四種踏切。当線にも多く存在するけれど、これほど見通しがよければ、列車接近の有無は判断出来そう(かな)。

 (2026/3/10~11)

明知鉄道 -明智-

 阿木から30分ほどの乗車で終点の明智に着いた。

 ホームには楽し気なイラストの描かれたHMが展示されている。

 真新しい駅名標があった。阿木で見たアレと同じようだ。実はこのタイプ、ここに来るまでの各駅にも掲げられていた。昔の琺瑯“風”で設えたものだろうか。嫌みの無いスタイルに好感が持てる。こんなものを用意した会社の取り組みが嬉しい。(のと、これを扱うメーカーさんがあるようだ。)

 隣の柱には丸ゴシのモノがあった。これは旧国鉄時代と思われる。

 不意にこんなモノを目にした。所謂「発煙筒」なのだろうが、踏切等の駅間では無く駅長事務室前にあるというのは、どんな事態を想定しているのだろう。

 駅舎内は昔のスタイルをそのままに、きれいに改装され手入れが行き届いている。とても気持ち良く駅を利用できるように思えた。

 (2026/3/10)

明知鉄道 -阿木-

 中央西線恵那駅を基点としていた旧国鉄明知線。3セクとして分離独立化し明知鉄道として生まれ変わった。多くの第三セクター路線のいずれもがそうであるように、ここでも国鉄時代の面影が随所に残っており、そのひとつ「琺瑯製駅名標」を探すのが今回の訪問理由のひとつ。

 恵那から20分弱の乗車で阿木に着いた。早速コレが出迎えてくれた。丸ゴシの書体は国鉄時代のものだろう。

 実は数年前、何かのTV番組でコレが一瞬映り込み、いつか出掛ける機会を窺っていたのだった。

 手前は品の良い教科書体のようにも見え、国鉄時代の筆文字とは書体が異なるように思えた。近寄ってみると文字部分に窪みが無く、文字もシール貼りのように見えた。

 

 早速、駅内外を色々スナップしたいところだが、間もなく上り列車が来るので駅近くでスナップすることに。

 恵那寄りのカーブする築堤上に腕木式信号機の遺構をみつけた。設置位置からすると阿木の出発というより、下り列車に対する阿木の場内のように思えた。やがて阿木駅を発車したDCが顔を出した。

 その昔、貨物列車を牽くC12が、普通列車のキハ52あたりがこうして顔を出したのだろうかとイメージを重ねる。

 ※明知線にC12が走っていたことについては、中学生の頃に目にした「ヤマケイカラーガイド 蒸機機関車の旅(広田尚教 著)」で、漠然と記憶に刷り込まれている。

 駅に戻る。扉ひとつの改札口が静かに時を刻んでいる。

 時は丁度学生さんの卒業シーズン。鉄道会社社員からのメッセージが寄せられていた。こんなところにも3セク社員さんの温かみを感じさせる。

 かつてこの駅は交換設備を有していたようだ。使われなくなった対向ホームとレールが残っているのが嬉しい。

 ホームの電柱に国鉄時代の琺瑯をみつけた。3セク化後既に40年。一体何年間、こうして風雪に耐えてきたのだろうか。

 1時間ほど滞在し、次の下りで明智へと移動することとする。

 (2026/3/10)

1972年11月 都電廃止の日 -3-

 錦糸町から上野へ移動。

 国鉄上野駅の駅前 24系統 6196

 京成上野駅の駅前 24系統 6214

 装飾電車が顔を見せてくれた。

 24系統 6216

 ファインダーで追って行くと、「装飾電車の並び!」。その後ろにも続行の電車。

 24系統 6216

 夕方の渋滞が始まったのか、装飾電車も「くるまの洪水」に身動き取れず。

 そんな光景を目にしながら、日も傾いて来たので撤収。(今、思うと何故に錦糸堀車庫を訪ねてみなかったのかと残念。)

 

 追記

 モノクロ写真を生成AIで着色してみた。

 モノクロを基に「カラー化してください。」とだけ命じたところ都電が青帯になってしまった。どうやら、彼の認識は都電の帯は「青の時代」のようだ。そこで「昔の都電の色でカラー化してください。」と再度命じた結果がコレ。

 メリハリが強いものの、当時のさよなら装飾が蘇った感じ。手前のタクシーも背景の広告類も勝手に配色してくれた。(機能的には未だ全幅の信頼とは行かずとも、遊ぶ分には楽しい。)

(2026/4/4 記)

1972年11月 都電廃止の日 -2-

 3158

 門前仲町から錦糸町駅前へと移動。「いかにも錦糸町っぽい」看板がそこここに。扉を開け放ち車掌さんが佇む電車は回送だろうか。

 28系統 3158

 先ほどの回送電車が多くの乗客が待つ錦糸町駅前電停に入った。背景にはロッテ会館、駅を通過するは気動車急行の「犬吠」・「水郷」だろうか。

 38系統 6107

 駅前交差点の代名詞「江東デパート」。後年、都電部品の販売コーナーが設けられ、電停看板を覗きに行ったことを思い出す。

 28系統 3235

 29系統 6081

 今思うと、交差点上は網目のように架線が張られていたのですね。(当たり前ですが。) 

(つづく)

1972年11月 都電廃止の日 -1-

【1972/11/11】

 この日を以て城東地区の都電5つの系統が廃止されると聞き、出掛けていた。当日は土曜日、いつもの通学カバンをショルダーバックに変え、カメラを偲ばせて学校へ行き、放課後都内へと直行したような記憶がある。

 廃止となる系統

 23系統 福神橋  ~月島

 24系統 福神橋  ~須田町

 28系統 錦糸町駅前~日本橋

 29系統 須田町  ~葛西橋

 38系統 錦糸堀車庫~門前仲町

 28系統 3163 

 まずは日本橋にて。背後の東急百貨店も懐かしい。

 23系統 6194

 28系統に乗り門前仲町へと向かった模様。23系統、38系統を目にすることが出来た。

 28系統 3182

 38系統装飾電車が来た。 6107

 38系統装飾電車 6107

(つづく)

朝日差す多摩川橋梁@2026冬 -4-

 珍しく東京に雪が降った翌朝、河川敷一面の雪景色を思い描き出向いた。しかし、「そうは問屋が卸さなかった。」ものの、背景の奥多摩の山々がうっすらとした雪景色になってくれていた。これまでずっと何かもの足りない山々の風景だったので、そのお化粧は嬉しかった。

 2月も既に上旬となり、いつもの6時半過ぎの下りオイルタンカーも明るい景色の中の通過となっていた。季節は着実に春へと進んでいると実感。この冬の朝練も打ち止めかな。

(2026/2/9)

余談

 この立ち位置の真下は、御覧の通りの浅瀬となっている。冬場は特に水位が下がるため、こうして川底が露出するのだそうだ。

 その川底からは古代海洋生物の化石が数多く発見され、化石発見の体験教室なども開催されるとのこと。

 ここから少し上流の八高線多摩川橋梁下では、昭和30年代にクジラ1頭の全身骨格化石が発見されており、かつてこのあたりが海だったことが、十分に頷ける。そんな太古のロマンに思いを馳せることが出来るのも、この場所。

(2026/3/28 記)